浅羽莢子のFine, Peace!

文芸翻訳家のぐうたらブログ。これなら続くかも。 100%真実を述べているとは限りませんが、たぶんいろんな意味でイメージダウンでしょう。

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ぶじ完了

2006年05月08日(Mon) 12:02:39

「ダークホルムの闇の君」のゲラをぶじに戻すことができました。
ほっとしています。

わたしは、翻訳業界では特に人より漢字使用量が多いほうではないと思うのですが、
今回のように、もともとおとなを対象に書かれ、
こちらもそのつもりで訳した作品を、
小学校高学年でも読めるよう、漢字を減らすというのはけっこう大変でした。

ひとつには、自分がその学年だったころ、
新潮文庫など大人向けに訳されたものを、
あたりまえのように読んでいた記憶があるからです。
簡単ではなかったけれど、ルビ(ふりがな)と文脈でだいたい読めていました。
最適な美しい日本語、含蓄豊かな日本語を、
どうせわからないだろうという発想から、
二番手 に変えてしまうのはどんなものでしょう?
たとえば「恥」を「はじ」にした場合、
前後の言葉によっては、かえって読みづらくありませんか。
「何だ」を「なんだ」としたら、
「それは何であるのか」という意味の発言と、
「なーんだ、そういうことか」という意味の発言の、
どちらかわからなくなりません?
「間」という漢字が「ま」と読むのはそのまま漢字でよくて、
「あいだ」と読む場合にはひらく(漢字をひらがなに直すこと)といったルールは、
正直言って、理解できません。
ルビをふればいいと思ってしまうわけです。

わたしも、小学生で文庫本を読んでいた頃は、
読めない漢字に多々出会いました。
いまでもおぼえているのは、「贅沢」という漢字です。
辞書を引けばいいのに、先に読み進みたいからそうはせず、
「賢明」の「賢」に似ているからという理由で「けんたく」と読み、
「けんたく」って何だろううと首をひねっていました。
文脈が「子供は贅沢なものだ」でしたから、推測しづらかったわけです。
本は村岡花子先生訳の「炉辺荘のアン」でしたね。
その本のあとのほうにまた登場したとき、そこの文脈から、
「『ぜいたく』だ!」とはっと気づいた次第です。
そうやって自分で気づいたときは、独特の快感があるもので、
数学の問題が解けたときのような気分でした。

いまはマンガ(コミックとはなかなか言いづらい)でも、
総ルビは減っているようですが、
漢字と読みの複雑だけど面白い結びつきや、
日本語の多様さを早くから知る上では、
総ルビをつけるか、小学校低学年から辞書を引く習慣をつけさせてはと思います。
人のことは言えませんが。

バラエティ番組などで画面に頻出する字幕には、子供はどう対処しているのでしょう?
「ダークホルム」はかなり分量のある作品なので、
それにあえて挑戦するような子は、
おとなが思っているより読めると思うのですが。

かく言うわたしも、もともと子供向けに書かれた作品なら、
最初から漢字遣いにも訳語にも配慮します。
大事なのは原作者の意図が極力伝わるようにすること、
というのがわたしの基本姿勢ですから。
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