浅羽莢子のFine, Peace!

文芸翻訳家のぐうたらブログ。これなら続くかも。 100%真実を述べているとは限りませんが、たぶんいろんな意味でイメージダウンでしょう。

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翻訳者の矛盾

2006年06月26日(Mon) 16:11:43

訳をほめていただくと、こちらも人間なのでうれしくて舞い上がります。

でも、ひとつご注意申し上げたいのは、
小説家の文章はその人のものだけれど、
翻訳者の文章は必ずしもそうではないということです。
もとになる原文があっての翻訳なので、
翻訳者それぞれの文体があっても、
それは原作の文体によって変化します。
ユーモアミステリのあかるくさらっとしたテンポの良さ、
都会ホラーのそぎ落とされ、洗練された文、
異世界ファンタジーの、凝りに凝った宝石細工のような擬古文。
センテンスの長さ一つとっても、同じわけがありません。

従って、同じ翻訳者が手がけても、
Aという作家の本と、Bという作家のとでは、
文章のリズム等が異なるのがあたりまえで、
どの作家の作品も同じようになってしまったら、
翻訳としてはむしろ失敗と言うべきなのです。

なぜこのようなことを書いたかと言うと、
わたしの手がけた作品は全て読むと言って下さるかたが、
たとえばキャロル作品とタニス・リー作品、
ジル・チャーチルの文体とマーヴィン・ピークのそれの、
訳文の違いにショックを受けられるといけないと思うからです。

「同じ人間が訳したとは思えない」と言われることがあるとすれば、
それは翻訳としては大成功なのかもしれませんが、
読んで下さったかたから見れば、
「あっちはよかったのにこっちは肌に合わない」と、
がっかりされることもあるでしょう。

「同じ人間が訳したとは思えない」ーー
翻訳する側としてはそうあってくれることを願っており、
どこかに「翻訳者Aのしるし」のようなものが共通してうかがわれるとしても、
それは本人が消そうと努力したにもかかわらず、
にじみ出てしまったものだと思いたいところです。

一方で、「誰が訳しても同じ」と言われるのも悲しいものがあり、
個性を消しながら出したいという、
矛盾した思いを常に抱えているのが翻訳という職業なのかもしれません。

そもそもさほど個性的な文体を持たない作家の本の場合は、
もしかすると翻訳者の色が濃く出てしまっているかもしれません。
自分でも自覚している文章の癖もあるのですが、
それをむりに消すと、
自分の眼に、日本語として整って見えなくなってしまい、
いろいろな形を試したあげく、
結局それに戻るはめになることも多々あります。
心から「ここはこれでいい」と思うためには、
時には癖を残さざるを得ないこともあるのです。

もちろん、日本語を操る人間としての自分の未熟さにも原因はあるでしょうが、
だからと言って、たとえば編集や校正のみなさんに言われるままに書き換え、
内心では「これは違う」と思っている文章を完成品として世に出すことは、
もっと大きな問題をはらんでいます。

たとえ翻訳という、
他のかたの才能の上に成り立っているにすぎない職業であっても、
やる限りにおいては、「自分に正直である」ことが何より大切であり、
自分の今の実力の範囲内で納得のいくものになっていると、
嘘偽りなく言える翻訳であることが、
本になった完成品を受け取られる読者のみなさんへの誠意であることは、
他のどんな職業とも変わらないのです。

キャロル、リー、セイヤーズ、チャーチル、クーパー、ジョーンズ・・・
こうした作家たちの作品が、
読んで下さったかたがたにとって、
それぞれに面白く感銘深く、それぞれ大きく異なる印象を残し、
そのうえで翻訳も悪くなかったと思っていただけるなら、
それ以上のことはありません。
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